タルト・タタン物語




タルト・タタンにまつわる、おもしろい話をご存知ですか?

19世紀後半、パリ南方のソローニュ地方にあるラモット・ブーヴロン(Lamotte-Beuvron)に、タタンという名の姉妹が小さなホテルを経営していました。ある時、りんごのタルトを作っていて、焼く時にうっかり間違えてタルト生地を入れ忘れてしまいました。型の中にりんご、砂糖、バターだけを入れて焼いてしまい、仕方なく、途中で上から生地をかぶせてみたら、意外にも、底にたまったお砂糖がキャラメル状になってりんごに染み込んで、なんとも香ばしいすてきな味になっていたのです。
それ以来、このお菓子は、最初からそのようにして焼くようになり、タタン姉妹のタルトということで、タルト・タタンと呼ばれるようになりました。

このタルトは、その後各地に伝わり、今ではフランスじゅうのケーキ屋さん、レストラン、家庭で頻繁に作られるようになり、伝統的なフランス菓子としての地位を確立しています。日本でも、すでにおなじみのお菓子になっていますね。

丸い型の中にりんごなどを先に入れ、その上にタルト生地をのせて焼き、最後にお皿の上にひっくりかえして供すという作り方は、多数あるフランス菓子の中でも独特のもので、フランスではまたの名をタルト・ランヴェルセ(Tarte renversée=逆さまのタルト)とも呼んでいます。

現存するHOTEL TATIN 

このタルトを偶然から発明したといわれているタタン姉妹のホテルが、なんと今でもラモット・ブーヴロン(Lamotte-Beuvron)に HOTEL TATIN (オテル・タタン)という名前で残っています。私も昔、フランスに住んでいた時に行ったことがあります。

オテル・タタンのホームページ では、ホテルの様子ばかりでなく、タルトの歴史、さらにはタタン姉妹の顔写真まで見ることができます。(フランス語のHPですが、トップページ右側の La célèbre Tarte Tatin にカ−ソルを置いて Historique をクリックすると出てきます。)

ラモット・ブーヴロンのあるソローニュ地方は、フランス中央部、古城が多いことで有名なロワール河沿いにあります。深い森の中に小さな湖が点在する美しい自然に恵まれた地域で、昔から狩猟の盛んなことで知られています。

ラモット・ブーヴロンへは、私が生活の場としていたオルレアン(Orléans:パリ南方100kmの都市)からヴィエルゾン(vierzon)行きの電車に乗り、30分ほどで着きます。途中、窓からはあちこちに点在する湖と、美しい森の木々が続くソローニュ独特の風景を楽しむことができます。(パリのオーステルリッツ駅からヴィエルゾン行きの直通電車も出ています。)

ラモット・ブーヴロンの駅を出ると、もう目の前に、オテル・タタンの建物が見えます。

ホテルの入口前の石段を上がると、左手に黄色い花文字で大きく「TATIN」と描かれている可愛らしい花壇が見え、とても印象的でした。扉を開けて中に入ると、センスのよいインテリアに目を奪われます。サロンにすわって当時のままを残している暖炉や家具に囲まれていると、しみじみとあぁ来てよかったなと思いました。

オーナーの奥様、マダム・カイエのお話

ほどなくオーナーの奥様、マダム・カイエがミルクティーとあつあつのタルト・タタンを持ってきてくれました。カイエ夫妻は、タルト・タタンをお店のスペシャリテとして、タタン姉妹の伝統を守り続けています。大きくカットされたタルトを食べてみると、昔風の味がしました。

マダム・カイエのお話によると、ソローニュ地方には、タルト・タタンのファンクラブがあるそうです。その会合の新聞記事には、胸にタルト・タタンを型どった勲章をつけた男性のメンバー達の写真が出ています。会食の時に使われたというメニューをいただきましたが、なんとそれもタルト・タタンの形をしています。

サロンの窓際には、タタン姉妹が使っていたというかまどが置かれています。白地に青のタイル張り、上に黒い銅板の蓋がついています。当時は、この上に蓋付きの銅の型を置いて、タルト・タタンを作っていたそうです。

有名になったタルト・タタン

タタン姉妹の話は、フランスでは伝説のように語り伝えられています。
妹のカロリーヌ・タタン (Caroline Tatin)は、美しく、誰に対しても親切で世話好きだったので、レストランでは給仕の係りをしていました。実際彼女は、「ソローニュの女王様」というあだ名をつけられているほどの人気者でした。

一方、姉のステファニー・タタン(Stéphanie Tatin)は、料理を担当していて、朝早くから夜遅くまでかまどの前で忙しく動いている働き者で、料理の腕もコルドン・ブルー(料理の達人)でした。そのステファニーが、ある時うっかり作り方を間違えてしまったタルトを仕方なくレストランのお客に出したところ、皆がこの新しい味のタルトを絶賛して、町じゅうの話題になったことが始まりでした。

カロリーヌは1911年に、ステファニーは1917年に亡くなりましたが、1926年に美食家で有名なキュルノンスキー (Curnonnsky)が、タタン姉妹の後もずっと引き継がれていたオテル・タタンを訪れて、このタルトに魅惑され、タルト・タタンという名で初めてパリに紹介しました。そして、パリで初めてそれをデザートとして出した店が、あの有名なレストラン、マキシム(Maxim)だったのです。

私が住んでいたオルレアンもソローニュ地方でしたので、タルト・タタンは言わば地方料理。そのため家庭ではよく作られていて、私も何度か教えていただく機会がありました。形も丸いもの、四角いもの、りんごの他に洋梨やアプリコットで作ったりと、ヴァリエーションも色々でした。

ラモット・ブーヴロンを訪れてタルト・タタンの起源に触れることができ、このタルトは私にとって特別な思い出のあるお菓子になりました。オルレアンの家庭で習った時は、作り方や味わいがそのご家庭によって様々でしたので、その後私も色々試作して、ようやく思っていた味のレシピに行き着いたように思います。

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Tarte Tatin

ラモット・ブーヴロンには、煉瓦造りの家が多い。

HOTEL TATIN

TATIN 文字の花壇

タルト・タタンのファンクラブの新聞記事

ファンクラブの会食の時のメニュー

タタン姉妹が使っていたかまど

ラモット・ブーヴロンのお菓子屋さん